「こころは、どこにあるでしょうか。」
小学生のころ、道徳の授業。先生の質問。
私は、胸のあたりにあると思っていた。
楽しいときは、ドキドキ、わくわくするし、
不安なときは、キューッと苦しくなる。
でも、はんぶん近くの子が、頭にあると答えた。
感情は、意識や思考に当てはまる、あるいは、その一部であるということだろうか。
脳がすべてを創り出している、ということだろうか。
そちらの言い分は、あまり覚えていない。
たぶん、どちらも正しいのだ。人の数だけ答えはあるのだと思うし、
厳密に、科学的根拠をもって、これと導かれる答えが現段階で既に出来ているのならば、
私はただの無知でしかない。
心臓の「心」は、「こころ」という字だ。
遙か昔の偉大なる先人たちも、胸に「こころ」を感じていたのだろうか。
永く、永い時間の、遠く、遠い場所の記憶が、きっと、私たちのこころには、あるはず。
宇宙から受け継いだ、魂の記憶。
令和2年のいま、その素晴らしい魂を受け継ぎながらも、現代の変化の時代を
胸、だけでなく、脳、だけでなく。
味覚、聴覚、視覚、嗅覚、触覚、5感、加えて、第6感、
全身全霊を「こころ」として、宇宙のすべてまでも感じて、捉えていきたいなと
アーティストとしては、思う所存に御座います。
「こころ」とは、人間のどこか一部にあるものではなく、人間のすべて…、いいえ。
「宇宙のすべて」であると定義したい☀️(あくまでも個人的な感想です。)
そんなことを、ふと想う、今日の昼間のことです。